• 魚津ライブラリ

情報検索 魚津ライブラリー

  • 史跡・歴史

川原田 政太郎(かわはらだ まさたろう)
テレビ発明の先覚者 魚津の三太郎博士

川原田政太郎

その他の写真

川原田政太郎
no image
no image
no image
no image
no image
no image
no image
no image
no image
おすすめ月
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
おすすめ時間帯
AM(時)
0時1時2時3時4時5時6時7時8時9時10時11時
PM(時)
12時13時14時15時16時17時18時19時20時21時22時23時
おすすめ指数
ファミリー ★★★★★
カップル ★★★★★
熟年 ★★★★★
体験 ★★★★★
自然 ★★★★★
※疲労度 ★★★★★
滞在時間
短時間向き 長時間向き
どちらでもOK

由来・概要

川原田政太郎(1890〜1983)は現魚津市下野方本江に生まれました。
魚津尋常高等小学校(現大町小学校)を卒業した後、代用教員などをするなど働きながら学び、明治44年、早稲田大学理工科与科に入学。大正4年、同大学理工学部電気工学科を卒業。暫く会社勤めをした後、早稲田大学に戻り、大正11年に早稲田大学助教授としてイギリスやフランスへ留学の途につきました。欧州各国における初期のテレビジョン研究に多大の関心を抱き帰国後、早稲田大学、山本忠輿博士の研究室でテレビジョンの研究を始めました。(大正15年には工学博士、教授)
当時はテレビジョンの実用化は技術的に極めて困難であり、研究員のめども立ちませんでしたが、やがてNHKなどの援助が受けられるようになり、昭和5年に東京の朝日講堂において世界初の大型テレビジョンの公開実験で成功をおさめ、今のテレビジョン隆盛の基盤を確立しました。

昭和36年早稲田大学名誉教授となり、昭和44年生誕地の魚津市初の名誉市民に推されました。

川原田政太郎博士は時代の要請に沿う発明考案をよくし、特許、実用新案等の数は60にも及んでいます。

参考文献等
ビジュアル富山百科(監修 宮口侗廸)
郷土の先覚100人(北日本新聞社編)

さらに詳しい情報があります。ご覧になる方はココをクリックして下さい。
 

特長・独自性

川原田政太郎は時代の求めるところに敏感で、戦後の食糧不足に対応して、甘藷(サツマイモ)キュアリング貯蔵法を発明し、当時の主食とも言えるサツマイモの長期保存を可能にしました。
また、政太郎は時計の神様とささやかれた程、数多くの時計を発明しており、昭和6年、上野の地下鉄ビルに取り付けられた直径18メートルの文字盤の大時計や、東京駅などの主要駅に掛けられた正確無比の時計は有名です。

魚津市では世界的科学者になる川原田政太郎、盛永俊太郎、宇田新太郎、この魚津市出身の三人の名前に共通する太郎をとって「魚津の三太郎博士」と呼んで敬愛の念を深くしています。魚津の三太郎は明治30年代から40年代初め(明治11年魚津城址に建設)魚津尋常高等小学校(現:大町小学校)に学びました。三人の少年が後に短期間のほぼ同年代に不世出の大人物を三人も世に送り出した学校もまれであるといえます。

基本情報

所在地
TEL/FAX −/−
開催時期・時間
施設・設備
ガイドマークの説明

非表示情報

権利情報
参考文献
記録・ランク
調査対象者
取材元
調査日
調査担当者
その他特記事項

まめ知識

【世界的科学者】
魚津市では世界的科学者になる川原田政太郎、盛永俊太郎、宇田新太郎、この魚津市出身の三人を「魚津の三太郎博士」と呼んで敬愛の念を深くしています
【NHK朝の連続テレビ小説】
川原田政太郎の生涯をヒントにした、NHK朝の連続テレビ小説 「凛凛と」 が、平成2年に全国の茶の間に流れ、大人気となりました
【凛凛と魚津ロケ】
魚津歴史民族博物館の旧澤崎家、光学坊、盛永俊太郎博士の生家、諏訪神社などが、ロケーションに使用されました

関連情報