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諏訪神社
勝負の神様、風と水の神様に感謝しよう、諏訪神社

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おすすめ月
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
おすすめ時間帯
AM(時)
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PM(時)
12時13時14時15時16時17時18時19時20時21時22時23時
おすすめ指数
ファミリー ★★★★★
カップル ★★★★★
熟年 ★★★★★
体験 ★★★★★
自然 ★★★★★
※疲労度 ★★★★★
滞在時間
短時間向き 長時間向き
どちらでもOK

由来・概要

”諏訪神社”は、魚津を代表するお祭り「たてもん祭り」の会場として有名です。毎年、「たてもん祭り」の当日は、非常に多くの人で賑わいます。
昔この地方は、信州地方との交易が盛んで信濃の諏訪本宮に豊漁を願って初魚を奉納する習慣があり、大宝元年(701年)に魚津の信濃浜(大町海岸)に、お諏訪さま(建御名方神・たけみながたのかみ)を分霊して祀りました。後に”越の大社”と改称され、諏訪の神垣の森として栄えましたが、お社が海の沖合になった為、天正年間に魚津城址河田豊前守(かわだぶぜんのかみ)が社殿を再建しました。
その後も波にのまれ、1634年8月下猟師町の北部に「無格社諏訪社」を再建しましたが、狭くなった為、明治6年(1973年)8月17日加賀藩魚津塩倉跡(現在地)に移転しました。
文禄3年(1594年)4月、魚津町餌指町の有志たちが漁業祈念の為本町2丁目(旧餌指町)に日吉さま(大山咋神・おおやまくひのかみ)を祭り、村社「日吉社(ひえしゃ)」を創建しましたが、維持が困難になり、1932年6月19日本町の日吉社を、諏訪社へ合祀して諏訪神社に改称しました。
1940年2月8日、富山県指定村社に列格。
平成7年(1995年)6月12日、本町2丁目(旧元町)の「諏訪社」を合祀して現在に至ります。
現在の境内横にあった「西宮社」に恵比寿さま(事代主神・ことしろぬしのかみ)を祭ってありましたが合祀された時期は詳しくはわかっていません。

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特長・独自性

御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)〈お諏訪さま〉、大山咋神(おおやまくひのかみ)〈日吉さま〉、事大主神(ことしろぬしのかみ)〈恵比寿さま〉です。
建御名方神(たけみなかたのかみ)(弟)と事大主神(ことしろぬしのかみ)(兄)は父を大国主神(おおくにぬしのかみ)とする兄弟です。
建御名方神(たけみなかたのかみ)は水と風の神として、農耕狩猟神として崇められています。漁業船が動力でなく風が頼りだった時代、漁業にとって風力はとても重要だったと考えられます。
事大主神(ことしろぬしのかみ)は七福神の中で唯一の日本の神様、豊漁の神様として崇められています。
鴨川に架かる最後の橋の名前は、鬼江(おにえ)橋です。かつて鴨川では諏訪神社の神様に捧げる生贄(いけにえ)の魚を採ったという説と生贄の魚を洗い清めたいう説があり御贄(おにえ)川、後に鬼江川と書くようになったそうです。
社殿は昭和5年、総檜造りにて造営されました。
天井絵馬には花鳥の他に魚が描かれており、漁業の神様としての信仰の深さが伺えます。また、拝殿に設置された龍と獅子の彫刻は、昭和9年皇太子誕生記念に造営された西宮社に奉納されたものです。欅の木目が美しく、細部まで丁寧に施された表現技術は一流品です。
また、黄昏時鳥居奥の海に沈む夕日は、崇高の一言です。

基本情報

所在地 富山県魚津市諏訪町1-16 
TEL/FAX −/−
開催時期・時間元旦 歳旦祭
1月11日 起舟祭
1月17日 祈年祭
1月26日 鎮火祭
4月17・18日 春季大祭、神幸祭
6月30日 大祓、胎内くぐり神事
8月7日 例祭・神幸祭
8月第一金、土曜日 たてもん祭り
10月20日 恵比寿祭り
11月中 七五三詣
11月23日 新嘗祭
12月31日 除夜祭
交通アクセス情報魚津ICより車で10分
あいの風とやま鉄道魚津駅より車で5分
市民バス市街地巡回ルート 諏訪町・本町二丁目
駐車場5台ほど
ホームページhttp://www115.sakura.ne.jp/~suwajinjya/
運営主体諏訪神社
施設・設備
駐車場ありトイレあり撮影スポット
ガイドマークの説明

非表示情報

権利情報
参考文献 歳時記うおづ、魚津市史
記録・ランク
調査対象者
取材元
諏訪神社:武田宮司
調査日 2011年10月05日
調査担当者 梶谷 由樹
その他特記事項 武田宮司は武田信玄の末裔で戦いで敗れたので逃げて一時黒部市に居住し、のちに山伏となって魚津に住み来宝院と称しました。明治維新後餌指町の日枝社の宮司となり、諏訪社に合祀され諏訪神社の宮司となったと伝えられています。

まめ知識

【諏訪梶】
諏訪神社の社紋は諏訪梶と呼ばれ、根の部分が4本のものが上社、5本のものが下社です。魚津の諏訪神社は上社です
【石垣】
諏訪神社を囲む石垣は魚津城の玉垣だったといわれています。見る人が見れば、早月川の石だとわかるので、魚津城の玉垣だったというのも納得なんだそうです
【戦いの神】
『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とあるように戦いの神「軍神」として知られており、力士が勝ち名乗りを受ける時、軍配の上にのせられた懸賞に左⇒右⇒中と手刀を切るのは勝負をつかさどる三柱の神、武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祭る鹿島社、経津主神(ふつぬしのかみ)を祭る香取社、建御名方神(たけみなかたのかみ)を祭る諏訪社への感謝の意だともいわれています

関連情報